違いを感じた自分を相対化する

海外勤務をしたり、日本国内にいながらも海外関連業務を担当して、海外現地法人のメンバーと仕事をすると、まず多くの方は、聞きしに勝る「ビジネス慣習や、ものごとの考え方、仕事の進め方の違い」を実体験することでしょう。それらは、ビジネス誌のコラムやエッセイで読み手をくすぐるネタでもなければ、コメディ・タッチの映画やドラマの切り抜きでもありません。あなたが肌身で感じる現実です。「あなた自身の価値観が試される瞬間」かもしれません。

以前、海外(台湾)で当地の日系企業を対象にコンサルティングをしていたわたしは、自分が体感した顧客企業に存在する「・・・違い」を、「その企業で垣間見える、手付かずのままの解決されるべき課題の氷山の一角、宝の山」として認識していました。「・・・違い」をオフセットする(差異を埋めて日本と同じにする)ための導入方法や実行プランが描ければ、それがその企業に改善効果をもたらすマイル・ストーン(里程標)になると考えていたのです。いま振り返ると、それが日本人マネジメント(経営者層)にはおおむね満足をもって受け入れてもらっていたことが自信(過信)と自負(勘違い)になっていたのだと認識しています。当時、わたしはそれを自身のコンサルティングの成功体験であると考えていました。

そして、ちょうどその頃、大きな問題としてマスコミでも大々的に報じられていた自動車メーカーのリコール隠し等の不祥事は、例外的な異常事態であり、日本的管理手法から見れば邪道であると意識的に斬り捨てていたのです。「あんなのは、日本的管理ではあり得ない。例外である」と。

それが「そうではない(例外ではない)」、「日本的管理があわせ持つ影の部分であり、行き着く先の象徴的出来事」と、その後に思うようになったのですが、それは以下のようないくつかの理由からです。

・まず、日本的管理では環境の変化の速さについていけないという理由。マネジメントはスピードが肝要だが、稟議でハン(印鑑)をつく決裁者が多すぎ、機を逸することの責任は誰も負わない。合議制ではなく、身体を張って即座に経営判断をするマネジメントや管理職が、まだまだ不足している。即決できないマネジメントは、タイムオーバー(審判による時間切れの判定)で退場すべき。会社の仕組みに問題があればそれを変えればいいだけのこと。権限と責任を明確にし、必要なリソースを吟味して与え、言い訳はさせない。

リスク・マネジメントは、リスクを抑制するためのものなのに、リスクを回避することにあくせくしている。リスクの無いビジネスは無いのに、誰がリスクをゼロにしろと言ったのか。リスクの事前評価は、「前に跳ぶためのジャンプ台のチェック」のはずが、「ジャンプ台で怪我をするかもしれないので試合進行を中止するアナウンスの理由付け」になってしまっている。したり顔で、「中止もやむ無し。リスクは回避された」とするマネジメントもいる。このようなサラリーマン根性は、サラリーマン失格です。サラリーマンの風上にもおけません(実は何を隠そう、わたしもそうだったのですが)。

・そして、日本的管理では、生産性が低い状態を抜け出せないということ。給料も上がらず、労働時間は世界的にみても、あいかわらず長い。

マネジメントが核心的な問題を打破することも無く、ただひたすら計画必達や予定調和を前提としているがために、実務で吹き出してくるはずのマネジメントに起因する数々の問題に蓋をされてしまう(売上げの粉飾のために、名だたるメーカーの年度末の販売会議で「商社への『押し込み』」が平然と認められていた時代もありました)。緻密な管理は、事務処理的な管理のための管理に成り下がり、目的を失い、中間管理職は壊れたラジオのように音を出すだけで、周りの聴衆には何も響きません。

・極めつけは、硬直的で、新しい発想が生まれにくいこと。この管理手法のありがたさを感じるのは、せいぜい保守的な管理職。日本人が聞いて安心をおぼえる言いまわし-「将来は予想できるものであり、万全の体制で臨めば、こわいものは無い。備えあれば憂(うれい)無し」という考えに過度に依存していた。それでも問題が発生した時は、サラリーマン根性で言えば、「運用上の不備があった」と弁明すれば、マネジメントは責任の謗り(そしり)を幾分免れる、日本のビジネスにおいては、そのような免罪符が存在しています。しかし、ビジネスはそんな生ぬるいことにはもちろん無慈悲です。海外で十五年ほど仕事をして、日本企業の競争力の低下は、そんなところから来ていると考えます。

悲観的な言いようになりましたが、現状は変えられます。ひと言で言えば、日本的管理を相対化して(絶対視せず)、何を目指して、何を優先し、何を捨てる(簡略化する)か、そのためには何が必要かを考えればいい。

ここで強調したいのは、「・・・違い」を感じた時、あなたが眼を向けるべきは、その対象物をこねくりまわすのではなく、あなた自身が変わるということ。「ココがおかしいよね」と「・・・違い」に指を差したら、その指をそのまま戻して、そう感じるあなた自身に向けてみてください。

そう、「・・・違い」は、【あなた自身を映し出している鏡】です。幸いなことに、海外では、「・・・違い」を感じる場面が多く、その類いのチャンスにあふれています。

そう、今の時代、チャンスの神様は、前髪すら無いかもしれません。急ぎましょう。


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